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第2話|ばあちゃんを救えなかった僕が考えたこと

前回は、宿題をばあちゃんにやってもらうという、小学生とは思えない姑息な作戦を決行した僕のお話をしました。

そんな僕を、いつも優しく受け入れてくれたばあちゃん。

朝起きられない僕を迎えに来てくれて、学校まで送り届けてくれる。

宿題をお願いすれば「いいよ」と引き受けてくれる。

子どもの頃の僕にとって、ばあちゃんはいつでも甘えられる、優しい存在でした。

でも、そんなばあちゃんには、もう一つの顔がありました。

ジェットコースターみたいな日常

祖母は、重い精神障害を抱えていました。

病名は「双極性障害」。

気分が大きく落ち込む「うつ状態」と、気分が高揚し、活動性が大きく高まる「躁状態」などを繰り返す病気です。

穏やかな時のばあちゃんは、僕の知っている優しいばあちゃん。

でも状態が大きく変わると、生活も一変しました。

家に火をつけてしまったこともありました。

家に帰ると物が散乱していたり、衝動買いで家の中にソファが何個も増えていたり、裸で町内を走り回ってしまったこともありました。

家族への暴力が起きることもありました。

今こうして文章にすると壮絶ですが、当時の僕には病気のことなんて分かるはずもなく、

「ばあちゃん、自由の女神より自由やん」

と思っていました。

もちろん、実際には笑って済ませられないこともたくさんありました。

母とばあちゃんがぶつかることも多く、僕自身も、

「なんでこんなことするんやろ?」

と理解できないことばかりでした。

でも今になって思います。

僕たち家族から見えていたのは、ばあちゃんの「行動」だった。

でも、その行動の奥にあった苦しさや不安、孤独までは、十分に見えていなかったのかもしれません。


「寂しい」という言葉

ばあちゃんは、よく言っていました。

「寂しい」

「死にたい」

当時の僕には、その言葉の本当の重さが分かりませんでした。

何度も聞いているうちに、どこか日常の一部のようになっていたのかもしれません。

そして僕自身も、どうすればいいのか分からなかった。

励ませばいいのか。

話を聞けばいいのか。

そばにいればいいのか。

そもそも、何に苦しんでいるのかさえ分からない。

家族だから分かる。

家族だから救える。

そんな単純な話ではありませんでした。

そして最終的に、ばあちゃんは自ら命を絶ち、その生涯を終えました。


すぐには、何も分からなかった

ばあちゃんが亡くなったからといって、僕が次の日から

「よし、福祉をやろう」

となったわけではありません。

そんなドラマみたいに人生は進みませんでした。

むしろ、その後2年ほどは深く考えることもなく、普通に毎日を過ごしていました。

悲しい出来事ではあった。

でも、その出来事と自分の人生がどうつながっているのかまでは、まだ分かっていなかったんです。

それから2、3年が経った頃。

なぜか、ばあちゃんのことを考える時間が少しずつ増えていきました。

そして、ある疑問が頭から離れなくなりました。

「ばあちゃんに、本当の意味での居場所はあったんかな?」


もし、居場所があったなら

ばあちゃんは、一人でいる時間が多かった。

「寂しい」と何度も口にしていた。

自分のことを理解してもらえない苦しさも、きっとあったと思います。

もちろん、今となっては本人に聞くことはできません。

だから、「これが原因だった」と決めつけるつもりもありません。

ただ僕は考えるようになりました。

もし、ばあちゃんに安心して過ごせる居場所があったら。

もし、調子が悪い時に「また始まった」ではなく、「今日はどうしたん?」と向き合ってくれる人がいたら。

もし、孤独を感じた時に行ける場所や、頼れる人とのつながりがもっとあったら。

何か一つでも違っていたんじゃないか。

答えは分かりません。

それでも、この「もし」が僕の中から消えることはありませんでした。


福祉に、いいイメージはなかった

だからといって、僕が福祉に憧れていたわけではありません。

むしろ逆でした。

ばあちゃんのことがあったからこそ、僕は福祉に対して決していいイメージを持っていませんでした。

「支援って、本当にその人を救えているんかな?」

「制度があるだけで、人は孤独じゃなくなるんかな?」

そんな疑問の方が大きかった。

だから僕の原点は、

「福祉って素晴らしい!」

ではありません。

むしろ、

「もっとできること、あったんちゃうん?」

でした。

そして、この疑問が少しずつ僕の人生を動かしていくことになります。


ばあちゃんが最後に暮らした、和泉市から

ばあちゃんが最後に一人暮らしをしていた場所が、大阪府和泉市でした。

だったら僕は、この場所から始めたい。

障害があっても、精神的にしんどくても、

「ここにいていい」

「自分のことを分かろうとしてくれる人がいる」

そう思える場所をつくりたい。

居場所が一つ増えれば、人生の選択肢が一つ増える。

人とのつながりが一つ増えれば、「もう少し生きてみよう」と思える日が来るかもしれない。

僕は、ばあちゃんを救うことはできませんでした。

過去を変えることもできません。

でも、これから出会う誰かの未来なら、変えられる可能性がある。

そう思った時、

ばあちゃんとの思い出も、後悔も、疑問も、全部が少しずつ一つの方向を向き始めました。

福祉を通して、孤独を減らしたい。

一人でも多くの人に、自分の居場所をつくりたい。

そして、

この和泉市から、一人でも多くの笑顔を増やしたい。

これが、僕が福祉を始めようと思った原点です。

ばあちゃんの人生を「悲しい話」で終わらせるのではなく、

ばあちゃんが僕に残してくれたものを、これから出会う人たちの未来につなげていく。

それが今の僕にできる、ばあちゃんへの恩返しだと思っています。


次回予告|でも、福祉はやりたくなかった。

「福祉を通して居場所をつくりたい」

そう思うようになった僕。

……ですが、一つ大きな問題がありました。

僕自身、福祉にいいイメージを持っていなかったんです。

じゃあ、そんな僕がどうして実際に福祉の世界へ入ることになったのか。

そして、外から見ていた福祉と、実際に中へ入って見えた福祉は何が違ったのか。

次回は、僕が初めて「福祉」という世界に足を踏み入れた頃のお話です。